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?書評による試み? 戦闘機がさほど重要視されていなかった

?書評による試み? 戦闘機がさほど重要視されていなかった。それは後から見てそう見えるだけ、なんですよ。喪女をお呼びした戦闘機がさほど重要視されていなかった頃の第一次世界大戦前後の頃は戦艦は戦争に勝つため最も重要な戦力でしたが戦闘機が重要視され始めた第二次世界大戦前後の頃はもはや戦艦は時代遅れで航空母艦こそが戦争に勝つための最も重要な戦力とされてた時代に何故旧日本軍は戦艦特に大和や武蔵などの巨大戦艦を造ったのですかが総額69,878円で完璧に出来たお話。戦艦について質問します 戦闘機がさほど重要視されていなかった頃の第一次世界大戦前後の頃は戦艦は戦争に勝つため最も重要な戦力でしたが、戦闘機が重要視され始めた第二次世界大戦前後の頃はもはや戦艦は時代遅れで航空母艦こそが戦争に勝つための最も重要な戦力とされてた時代に何故旧日本軍は戦艦特に大和や武蔵などの巨大戦艦を造ったのですか
事実、戦艦大和にしろ戦艦武蔵にしろなんの戦果も挙げることなく敵の戦闘機の波状攻撃(爆雷&魚雷)により撃沈されましたよね 当時何の戦果も挙げない大和や武蔵などに対して皮肉めいて「大和ホテル」「武蔵屋旅館」なんて呼ばれてたらしいですね
個人的には大和や武蔵を造船する過程で空母に変換すればよかったのにとすら思います 何故そうしなかったのですかね??? 実際戦果をあげていたのは金剛級戦艦(中型戦艦)「金剛?榛名?比叡?霧島」の4艦でしやよね
この問題に関して詳しくお知りの方ご回答をお待ちしております 第一次世界大戦:条約と戦争賠償金。第一次世界大戦の惨禍の後。戦勝国側の西欧列強は一連の厳しい条約を敗戦諸国
に課しました。条約の重要な原則は。オーストリアが新たに形成した独立性を
譲歩しないようにすることでした。残りは今後の戦争勃発を防止するための
原則で。最後に国際連盟諸国に向けて国際紛争の緩和を呼びかけていました。
にドイツに提示されたベルサイユ条約は。ドイツ領土をベルギー
オイペン – マルメディ。チェコスロバキアフルチーン地区。ポーランド

戦闘機がさほど重要視されていなかった頃の第一次世界大戦前後の頃は戦艦は戦争に勝つため最も重要な戦力でしたが戦闘機が重要視され始めた第二次世界大戦前後の頃はもはや戦艦は時代遅れで航空母艦こそが戦争に勝つための最も重要な戦力とされてた時代に何故旧日本軍は戦艦特に大和や武蔵などの巨大戦艦を造ったのですかの基本 大切だけど、だれも教えてくれない32のルール【震撼】。?書評による試み?。日清?日露?第1次世界大戦から第2次世界大戦まで, 独自の分析で独創的な戦争
史を書 き続けてキーワード。支那事変 日中戦争, 第2次世界大戦, 真珠湾奇襲
攻撃, 山本五十六, ワシントン海軍 軍縮条約ていた ことは事実であり, 当時の
政府?軍部の意識の底では, 対米英戦争への重視の ?度合? が,されている重要諸
著作を敢えて取り上げ, 日本近現代史とりわけ先の大戦の歴史的教訓を,る時期
に, 日本陸軍はシナ大陸ではかつてないほどの大作戦を展開し, このため蒋介石の
国ジャパンナレッジで閲覧できる『第一次世界大戦』。第一次世界大戦以下。大戦と略記するは。年から年まで。計か
国が参加してヨーロッパを主戦場として戦われた戦争である。以下の説明の
なかで大戦前史を詳しく取り上げるのは。このような理由による。戦争が世界
戦争に拡大するのは。アメリカがドイツに宣戦を布告した時点
においてである。けれども,タンネンベルクの戦闘のため,西部戦線の重要な
右翼に配置されていた師団の一部を東部戦線に移すというように,シュリー
フェン計画

第7回。第一次世界大戦が始まる頃には多くの国で航空機が生産され。使われるように
なってきていたが。軍用機に特化したものは存在せず。汎用機が連絡。偵察。
戦闘機はスピードや上昇力。運動性が重視され。爆撃機は航続距離や爆弾搭載
量が問われるようになる。爆撃機では長躯飛行して目的地に着くための航法
装置。正確に目標爆撃を行うための照準装置が効果を左右する。航空機が戦略
兵器に発展する過程の先駆者としてこの二人は重要な意味を持つ。

それは後から見てそう見えるだけ、なんですよ。先ず、ちょっとした認識の誤りですが、この時代は戦闘機ではなく航空機と認識しましょう。戦闘機は敵航空機を排除するべき機種で艦艇に対しては然程有効ではありません。*精々観測機を排除するか、機銃を浴びせるぐらいです。艦艇に有効だったのは爆撃機や雷撃機です。そして航空機の時代になったのは戦中からです。戦前は航空機が敵艦艇に有効かどうかは疑問視されていました。逆に戦艦はまだまだ戦争の趨勢を決めうる戦略兵器と見なされていました。航空主兵論といった航空機の時代を唱えるの者はいましたが、まだまだ大艦巨砲主義の時代です。*日本はそれに加えて水雷戦隊の雷撃戦。つまりは魚雷戦ですね。その認識が揺らいだのが開戦後のマレー沖海戦、日本の航空隊が英戦艦レパルスとかプリンス?オブ?ウェールズを撃沈した海戦です。真珠湾の据物切りではなく、戦闘状態にあった戦艦を航空機沈める、その現実が起きるまで戦艦は航空機に勝る兵器でした。ましてや大和や武蔵の建造が計画された頃の航空機はマレー沖海戦の当時より遥かに脆弱です。複葉機の時代。戦艦に致命傷を与えるような装備さえ碌にない時代です。*戦艦は計画から建造、就役にまで長い時間がかかります。大和が動き出したのは1934年頃です。当時の航空機を見て戦艦を沈めれると思えたらちょっと頭がおかしいです。*というか航空機の時代を唱えても組織として不可能です。戦艦による艦隊決戦、水雷戦隊による水雷戦、それを支援する航空戦隊という組織の当時の海軍がいきなり航空戦隊を主力に入れ替えるなど簡単には出来ません。実際、アメリカだって、アイオワ級やモンタナ級を建造していますし、イギリスもそうです、フランスなど戦後にまで戦艦を建造就役させています。というか欧州でまともに空母もっていたのはイギリスだけです。グラーフ?ツェッペリンやアクィラなんて結局実戦には出ていません。*フランス空母は結局航空機輸送艦扱いだったし。なので日本が戦艦を建造していたことはおかしくありません。というか鳳翔から始まり赤城、加賀、龍驤と作り続け空母機動艦隊を形にし、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴、大鳳、信濃、雲龍、天城、葛城と空母を建造し、また、改造空母を配備しただけで割と凄いです。*開戦時は世界最大の空母保有国ですからね。大和武蔵が活躍出来なかったのはナショナルフラッグシップの皮肉ですね。象徴的過ぎたので使い潰すことが出来なかった。エアカバーが得られる序盤にバンバン投入したらそれなりに成果はあげたでしょう。*因みに金剛が日本の戦艦で活躍したのは、老朽艦なので撃沈されても惜しくないとあちこちに投入されたからです。これは英国の戦艦で、第二次世界大戦でもっとも活躍した戦艦とされるウォースパイトと同じ事情です。金剛とほぼ同世代で、また、やたらと足回りが故障するポンコツロートル戦艦なので無茶使いされました。結果としては最後まで生き残り最大の活躍したのですが。不運に恵まれた戦艦が大和型戦艦であるわけだ。1941年の亜?太平洋戦争開戦の前の時代は仰るとおり戦艦などの水上艦主力の時代だった。大和は1937年、武蔵は1938年に起工された。先に竣工したのは大和なのだが、不運にもその日は真珠湾攻撃の約一週間後だった。簡単に言っちゃえば汽車の時代だったから最高性能の汽車作ったと思ったら同時に新幹線が出てきたみたいな感じと思えばいい。つまり大和型は時代の変わり目に生まれた戦艦であり、最も悲しい運命を背負った戦艦だったわけだ。事実日本は、武蔵の建造を最後に戦艦の建造は一切行わず、空母の建造に勤しんだ。大和型が活躍できなかったのはその貴重性と燃費の問題で積極的に使えなかったから。だから失礼ながらそもそも質問自体がずれてると言ってしまおうか。空母が海軍の主力になったのはww2に入ってからでそれ以前は戦艦の世が永遠に続くと思われセッセと戦艦を建造したからです。後知恵で歴史を批判しても何にもなりませんよ??? ^^ _U~~戦艦でも騎兵でも、兵器や兵科というのは天敵が現れることによって駆逐されることはほとんどありません。それらに取って代わることのできる戦力が普及することで存在価値を失っていきました。戦艦の存在価値というのは大口径の砲による火力投射能力にほかならず、空母艦載機による爆撃ではかんたんに追いつけるものではありませんでした。艦載機は戦艦の射程の10倍以上の距離まで進出し敵と交戦することが可能でしたが、夜間や悪天候時には艦載機を始めとした各種航空機は作戦を行うことが困難でした。対して戦艦は敵の沖合に数日間は居座ることが可能なうえ、巡洋艦と比べてさえその図体の大きさから多少の波など物ともせず、敵を威圧し続けることができるばかりではなく、実際に数時間にわたり連続的に砲弾を節約しても数分おきには砲撃を行い続けることが可能でした。実戦ではレイテ沖海戦で、戦艦を主力とする日本艦隊を、米機動部隊が迎え撃つという状況が発生し、結局空襲だけで阻止することは不可能でした。また、そもそも大和型戦艦の建造につながる新型戦艦の計画は1935年頃に始まっていますが、このころの航空機はまだ複葉機が主流であり、実際に戦艦に挑んでも返り討ちにあっていたことから、質問者さんの考えるほど航空機は重要視されてはいませんでした。ただ、1930年代後半くらいから航空機の開発競争が激化し、新型の航空機が5年やそこらで旧式化してしまうという時代になってしまったのです。もちろん、高級軍人は程度の差こそあれいずれは戦艦といえども航空機で十分対抗可能になると考えてはいましたし、とくに日本なんかは艦隊決戦にすべてをかけるしかないのて、戦艦の数の差を少しでも埋めるため、航空戦力の拡充に注力してはいましたが、まだ航空戦力による戦艦の撃沈はあわよくばという程度でした。マレー沖海戦の時点でさえ、当時としては最新の対空砲火を備えた新型戦艦を航空機だけで撃沈することはできないだろうと考えられていたほどです。真珠湾攻撃は軍港に停泊中の、回避も反撃もままならないところを奇襲するというだけの話で、それでも部隊再編や損傷箇所の修理で半年は足止めできるその間に南方資源地帯、とくにパレンバン油田を占領下に置かなければ戦争どころではなくなりますのでだろうと見込んでの作戦だったわけです。航空兵力が戦艦よりも優位足りうると分かった時点で対応できたのは、米軍だけです。日本軍では、戦艦の新造をやめて空母の建造や改造空母の整湯備に移行したりしましたが、載せる航空機やパイロットの不足もあって間に合わず。米軍が間に合ったのは、資源が豊富かつ工業生産力が高さで、空母も搭載航空機も、戦艦も駆逐艦も、超重爆撃機も生産できたから。過去歴に同じ質問の繰り返しが5万とある。何故だろう?信濃という大型空母が建造されましたけど。空母として完成直前にアメリカの潜水艦の魚雷攻撃であえなく沈没してしまいましたが。ただ信濃も最初は大型戦艦として建造されましたが急遽空母に設計変更されて工廠に回航中に撃沈されたという事。遅まきながら日本も空母の必要性は認識していたでしょう。航空母艦が、戦力として重要視されたのは、日にハワイ島真珠湾が大日本帝國海軍艦載機に攻撃を受けた米国軍が重要視したので有って、大日本帝國海軍は最後まで、航空母艦を重要視してはいません。大日本帝國海軍は、単に1922年に締結したワシントン海軍軍縮条約1930年に締結したロンドン海軍軍縮条約に拠って主力戦艦や大型駆逐艦の制限を受けたから、空母等制限の緩い艦船建造に勤しんだだけ。大和型戦艦1番館の大和の起工は1937年で、就役がです。真珠湾攻撃があったにはには既に完成間際でした。起工が1937年ということは設計そのものはより以前から行っているということであり、ひるがえって当時の艦載機の状況を見るとWW1から大差ない複葉機が主力でした。↓の写真は九六式艦上攻撃機1936年11月運用開始と空母加賀。大和型戦艦とこのしょぼい複葉機を比較してみて航空機の時代だから大和は要らんと予想できる人間が果たしているでしょうか。また実際問題として真珠湾やマレー沖海戦で航空機によって戦艦が沈められましたが、それは片や奇襲で停泊中の戦艦を沈めただけ、片や戦闘機隊のエアカバーを持たない状況と必ずしも戦艦の無力を証明したわけではありませんでした。大和も武蔵も航空機に沈められましたがそれは戦闘機のカバーのない状況であり空母の艦載機のカバーがあれば沈めきれなかった可能性は高いです。戦艦の喪失理由の一覧?金剛……潜水艦の雷撃?比叡……米艦隊との夜間砲戦?榛名……燃料不足で港から動けないところを空襲?霧島……米新鋭戦艦との夜間砲撃戦?扶桑……米艦隊との夜間砲雷撃戦?山城……米艦隊との夜間砲雷撃戦?伊勢……燃料不足で港から動けないところを空襲?日向……燃料不足で港から動けないところを空襲?長門……終戦時残存?陸奥……柱島で停泊中に事故で爆沈?大和……米艦載機の攻撃エアカバー無し?武蔵……米艦載機の攻撃エアカバー無し大和武蔵のインパクトが強いですが、日本の戦艦のほとんどは砲撃戦か動けないところを空襲でという喪失理由になります。対する米側にしても喪失した戦艦は真珠湾で沈んだアリゾナとオクラホマだけで、残りは浮揚修理して様々な海戦に参加していますが喪失は1隻もありませんでした。WW2の時代では戦艦はまともなエアカバーさえあればまだ戦力として使えるということは十分に考えられます。その証拠に真珠湾よりあとにアイオワ級戦艦を6隻も就役させています。世界で最後に就役した戦艦はフランスのジャン?バールでなんと1955年のことです。この人のことを知りませんか?。ネットで、「アメリカ空軍の父」か、「ウィリアム?ミッチェル」と検索すれば、出てきます。この人は、アメリカが第一次世界大戦で分捕ったドイツの戦艦を実験の標的にして、航空機の爆弾で撃沈して見せた人です。しかし、米軍内で、先進過ぎる発言をしたため、解任されてしまいました。太平洋戦争第二次世界大戦の初期に、日本海軍の一式陸攻の編隊が、イギリス海軍のプリンセスウェールズとレパルスの二戦艦を撃沈させたことにより、世界中が、航空機や空母の有効性を認識したのです。日本軍の中でも、状況は、同じでした。この英国戦艦を沈める少し前のことですが、英国海軍の航空母艦から発進した雷撃機が、ドイツ海軍の戦艦ビスマルク号を航空魚雷で攻撃し、船の舵に損傷を与えました。このことにより、ビスマルク号の操船が上手くいかなくなり、動きの鈍ったところを、英国艦隊が袋叩きにして沈めたのです。しかし、このことについて、世界中から注目を受けませんでした。本当かどうか分かりませんが、ミッチェルは、「ソ連は、世界最強の空軍力を持つことになるだろうし、日本は、世界最強の航空隊戦闘機隊を持つことになるだろう。日本は、必ず、航空機により、真珠湾を攻撃して来るだろう。我々は、備えなければならない。」と予言していたそうです。本当に、その通りになりました。ドイツは、ソ連の空軍力に圧倒されています。この手の話はしょっちゅう話題になりますが、時系列と装備の用途を押さえておく必要があります。戦艦は艦隊決戦で役立つという想定の装備であり、第二次大戦の冒頭ではまだ艦隊決戦でケリがつくという考え方が主流です。大和の着工時期は第二次大戦前ですから、当然日本は艦隊決戦に備えて大和級を設計?開発しています。この時期の航空機はまだ補助戦力です。そもそも海軍で戦闘機?爆撃機が開発された流れは「戦艦の長距離砲撃は当たらない」?「着弾観測機で長距離砲撃の精度アップ」?「着弾観測機を狩りに来る敵機がうざい」?「敵の戦闘機を飛ばしてくる空母が邪魔。空母を沈めるのは無理でも航空甲板に穴開けてやればいい」?爆撃機開発「爆撃機を敵空母の上空まで安全に届けたい」?爆撃機を狩りに来る敵機を狩るための戦闘機開発ですから、全ては着弾観測機を活かすため、ひいては戦艦の砲撃を活かすためです。大和が就役する直前にマレー沖海戦航空攻撃による作戦中の戦艦の撃沈が生起し、それに続く真珠湾攻撃で航空主兵が優勢になっていきますが、その頃にはもう大和をはじめ、艦隊決戦を目的とした海軍が整備されてしまっています。軍は目的を定めて長年かけて整備するものですから、ここで突然方向転換はできませんもう重巡をはじめとした水雷戦隊も大和級をはじめとした打撃艦隊も完成していますしただ、航空主兵になりつつあるとはいえ、艦隊の運用自体はまだ以前のままですので、ミッドウェー海戦などでは「空母は前衛、戦艦を始めとした打撃艦隊は後衛」という布陣が続いていますミッドウェーで大和は主力の400km後方にいた!とよく揶揄されますが、半日あれば合流できる距離なので非常識な布陣ではありません。あの作戦では前衛にいても作戦冒頭では仕事ありませんしミッドウェー戦を経てようやく航空戦力を主力とした運用に転換します。このように、直近の結果を以ていきなりの大転換ということはできません。マレー沖海戦?真珠湾攻撃で航空機が活躍したから艦隊決戦を捨てよう、という流れにはなりえないんです。そこまで膨大な予算と訓練を積み重ねてきた海軍ですから、艦隊決戦を捨てたらイチから考え直しになりますし、戦争はもう始まっています。結局物事は徐々に変わっていくしかなく、そして航空機の発展が早すぎたのです。日本だけでなく、世界中で同じことが起きています。金剛級が活躍できたのはこうした流れとはまったく別の話ですね。あの級は古すぎて打撃艦隊としての用途を期待されておらず、速度と航続距離を活かして汎用的に駆逐艦的にあちこちに使いまわされた結果、交戦する機会が増えただけです。日本的には失ってもOKな戦艦だった故の運用です。高速だから空母の護衛に充てられたのではなく「とりあえずどこでも金剛」だっただけの話です。米国でさえミズーリ級戦艦をそのまま建造していますからね!さすがにモンタナ級戦艦は建造を中止しています。これは航空機の優勢がハッキリと証明された時には既に建造が進んでいたからです。建造を中止してしても解体するのに時間が掛かるからそのまま建造したに過ぎません。日本が対米開戦した真の動機は決して現実的な権益確保のためではなく、1853年にペリー艦隊の武力に脅され無理やり開国させられて以来、対米開戦時までの約90年間に渡ってナメられ続けた屈辱と劣等感を一気に晴らすべく、アメリカ人に一泡吹かせて大和民族の沽券を示すという精神的な動機に引きずられていたからです。大和級を大和、武蔵、信濃、111号艦、の4隻建造しようとしたのもペリー艦隊の4隻の戦艦に対応していると考えられます。これは言うまでもなく、やられたことと同じことをやり返したかったという心理に引きずられています。それゆえに、空母がどれほど効果的実用性があってもそれは後回しで、ともかく戦艦4隻を象徴として揃えねば気がすまなかったのです。現実には2隻完成した時点で計画倒れになりましたが、もし日本がアメリカ並に潤沢な生産力が残っていて空母もバンバン作れていたとすれば、もう途中で戦艦が役に立たないと分かったとしても信濃を空母に改装することなどなく、莫大な予算を無駄に使ってでもきっちり4隻の大和級戦艦を建造していたことでしょう。余談ながら、真珠湾攻撃時にもペリー艦隊の戦艦4隻に対応するアリゾナ、オクラホマ、ウエストバージニア、カリフォルニア、の戦艦4隻を撃沈したら、まだ余力が残っていたにも関わらず沖に出向させていたアメリカの空母機動部隊には目もくれずに日本軍は満足して撤退してしまいました。これも無意識的な開戦の動機に引きずられた行動と分析できます。大和型戦艦を建造し始めた時は、真珠湾攻撃以前であり…航空機優勢な意見は当然あったのだけどまだ確信までは持ててはいなかった。何の本だっけか?例え話として、新たなる画期的な発電方式が発明されたので現在建築もしくは計画の発電所は全て白紙撤回しろと言ってるようなもの…と、いう記載あったような記憶がある。まだ未知数の「画期的」なものにいきなり全て賭ける?もし失敗したら一気に破綻しかねないのだがましてや、ある意味保守的な官僚体質なら、その判断は出来まい。別にこの件に関しては「官僚」制を批難してるワケでは無いので勘違いなされないように…この件に関してはヾ???;????。タイミングが悪かったのは確かだ。本来、仮にも世界最大の戦艦だ。自慢もしたかったろう。公表していたら、他国の動きにも影響与えた程度は何とも言えんがのは確かであろう。が、結局機密扱いとし…まぁその他温存実質「大和ホテル」と化してしまった艦隊護衛にって意見もあるが、最大速度が軽快な?空母郡より遅いので足引っ張りかねない。そもそも最大の戦艦を「たかが護衛」に使うというのは気に入らん感覚をもつ勢力もあったろうから認められん可能性も高い。造船する過程で空母に変換…これがまぁ~大変で且つ、空母としてのキャパシティが高いとも言い難いシロモノだ。尚、「信濃」が一応それではあるけどネ。大和級三番艦、空母に改装されたにはされたが…ε=?д?`*??…。机上スペックで考えるとしかし、丈夫なのは確かだろうが大きさの割に搭載機数少なすぎ。造船する過程…どの過程かにもよるだろうけども?o○タイミングによっては、扶桑型戦艦、伊勢型戦艦のような何とも微妙な航空戦艦というのが出来上がるだけだがちなみに、伊勢は活躍したそうだよ。ただし、輸送艦としてΣ?д?lll時期的にフツウの輸送船だとボカ沈喰らいまくる状況でしたんで、多少とはいえ無事石油輸送に貢献した。戦艦とはそういうモノだってのもある。威圧以外に使えないと豪語する本もあった気がする。ドレットノート以降、戦艦では無いと出来ない役目をしたモノは無いとまで記してたっけかな?アメリカが艦砲射撃とかで使用してある程度の効果はあげた例もないこともないが、その本では「廃品利用」とぶった切ってたっけ。使えないが重要…現代のある種ICBMのようなものという喩えさえしてた気がする。しょっぽクン

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